助産師として「お産」と向き合う ~助産院との出会いから得られたもの~
- ななぱす 学生団体
- 2023年2月18日
- 読了時間: 7分
更新日:2023年3月23日

皆さんは、助産師の働く場所についてご存じですか?
実は、助産師は病院やクリニックだけではなく「助産院」でも活躍をしています。
助産院では、助産師が妊娠出産から産後まで関わることができ、より密接にお産と向き合い、母子と向き合うことができます。
今回は、そんな「助産院」で助産師として働く石田さんにインタビューを行いました。
石田さんは病院での勤務経験を経て現在は個人で助産院を営み、命が生み出される大切な瞬間と向き合っています。
この記事を読んで、そんな助産師としての働き方や魅力を感じてみませんか?
文章:シロップ
助産院との出会い
幼い頃から生まれたての赤ちゃんの匂いや可愛さ、また出産の場面に不思議と引き寄せられ、いつも赤ちゃんと一緒にいられる仕事がしたいという思いを抱くようになりました。そんな時、母から「お産婆さんになったらいいんじゃない?」と言われ、助産師に興味をもつようになりました。中学校、高校と歩む中でも助産師への思いは変わらず、地元の医療短大へ進学。卒業後は助産学特別専攻学科に一年通い、助産師の資格を取得しました。
その後、様々な症例を知ることで正常を学び、異常分娩にも対応できる力を付けたいとの思いで大学病院に就職しました。
自らの出産を経ての育児休暇中に、助産院でのお産のお手伝いをする機会をいただきました。そして、その助産院で見せていただいたお産によって、自分のお産に対する考え方・見方が180度変わりました。『お産』というものをどのように捉えるか。それまでの自分は「本来のお産」を一つの側面からしか見れていませんでした。しかし、助産院でなされていたお産は、自然の営みの中で厳かに行われる“命の誕生”を肌で直に感じるものでした。出産の始まりからいのちが送り出されるまで、そこに必要な全てが整った時、淡々と粛々と、時にダイナミックになされていく神様のわざとしか思えない、いのちの誕生の営み。そのいのちが生み出される過程で、自然が成すわざが全うされるようにサポートし、関わっている助産師の姿に衝撃を受け、感動しました。そして「お産の本質」にますます魅かれていきました。
恩師である助産師より
陣痛という苦しみは、本来自然なもの。
病院で働いていた時は、産婦が陣痛を乗り越えていく中で味わう痛みや緊張を助産師である自分が「どれだけ軽減することができるか」という視点において、陣痛の痛みというものを”ネガティブなもの”として捉えていました。
しかし、助産院でのお産を通して、その陣痛の痛みを味わうことが、その人にとって必要な経験として与えられている“大切な痛み”であると気づかせていただきました。その大切な痛みを受け止め、味わえるように自然な経過を見守り、母親のちょっとした表情の変化や息の仕方、動きなどでお産の進行を察知しながら、伴走者としてその人の必要に手を添えることができるように努めています。
また、そのためには医療者自身が心も身体も落ち着いて、集中して分娩進行を見守り、必要に応じて適切に介入することができるよう、日々与えられている生活の中で自分自身を整えておくことが何より大切で必要なことだと気付きました。
お産において、起こっている1つ1つのこと全てに、その過程に意味があることを改めて感じさせていただいています。
また、お産は予想通りにいかないことの方が多く、その時々に応じた迅速な対応が必要。だからこそ、自然の営みが成されることへの畏敬の念と1つのお産に集中して臨むこと、自然な経過を見守り、産婦さんがお産を通して与えられているその人にとっての必要な過程を全うできるよう支えていくことが大切なのです。

助産院の開業を後押しした人の存在
自分の経験年数も少なく、少し不安もあったのですが、恩師の助産師から
「お産は数ではない・1つ1つのお産から何を学ぶか」
「助産師は産む人自身が赤ちゃんを生み出す器となりきれるように
サポートする、黒子のような存在であることが大切」
ということを学びました。
これは、母親自身が与えられた「お産」というものに謙虚に向き合えるよう、助産師自身も謙虚に向き合うことが大切だということを示しています。
元々、誕生も死も自然の営み。だからこそ神聖な気持ち、神聖な場として謙虚な気持ちで向き合いたいと思いました。
その後11年間勤めていた病院を退職し、3〜4年くらい助産院での経験を積んだ後、助産院を開業しました。
助産院を開業するにあたって大変だったこととは
助産院を開設するには、今まで全く知らなかった、経営や、建物、設備について調べることから始まりました。その中で、周りの様々な人のお力添えをいただくことができ、一つ一つのことが自分の力では全くなし得ることができないことであることを実感する機会にもなりました。また、1つ1つの決断に対してより責任が問われ、重みも想像以上であると感じました。特に、産後の胎盤が出るときや子宮復古の段階で異常出血が多く、救急車を呼ぶこともありました。いつ急変するかは予測できないことも多く、常に緊張の糸が張り詰めています。
今、学生に伝えたいこと
学生のうちは多くの人との豊かな関わりを持ち、その中で自分や他の人と向き合うことを大切にしてほしいと思います。
生きたコミュニケーションを大切にすること。
相手と向き合って、相手が発している言葉や表情をよく見て観察し、その言葉の奥に、相手が伝えようとしていることを受け取ること。
看護学生、将来医療職に就く人に限らず、時間がある学生時代だからこそ、人と人との繋がりを大切にして、相手と時間を共にする大切さ、楽しさを味わって、”生きた人”と関わってほしいと思います。
今あるもの=当たり前ではない
足りない部分を補うために理想を求めることも大切だけれど、無いものやできないことに目を奪われ追い求めるのではなく、今あるものや出来ていること、与えられていること一つ一つを恵みとして受け取って大切にし、感謝すること。その上で、今と向き合うこと。
そのような中で”本当に大切なもの”に気付くことができ、与えられている日々の生活に心から感謝でき、大切にすることができると思います。
目の前に与えられている一つ一つの恵みに目を向け取り組むことで、生活や自分自身の心が満たされ、医療現場でも、患者との関わりの中で希望や安心感をもたらす存在になれると私は思います。
日々生活していく中で、周りの人に合わせて自分を見失う必要はありません。
周りの環境、人、与えられていることに感謝しながら、自分のやりたいことに挑戦する。周りと比較するのではなく、自分自身が”与えられているもの(賜物)”を発見しながら大切にし、いかにその賜物を使っていくかを探究していってほしいと思います。
いかがでしたか?
石田さんのインタビューからは、助産師を目指す上で支えとなる仲間の存在、志の強さ、また、「助産院で自然なお産をする」ということの素晴らしさとそれを支えるだけの責任の重さ、大変さも知ることが出来ました。そして、助産師を目指す人に限らず、日々の生活の中で大切にしていきたいことを学ぶことが出来ました。それは、「今」を受け入れ、大切にすること、身近な人や物など今自分が置かれている状況を大切にして、今やるべきことに全力で挑戦するということが大切だということを学ばせていただきました。
皆さんもこの機会をきっかけに、「日常」を大切にして、自分と向き合う時間をもってみませんか。
プロフィール

お産はカタチではない。
どこでどのように産んでも、すべてがその人にとっての
「神様からのギフト」だと考えています。
小学生の頃から助産師に憧れ、短期大学部 看護学科 助産学特別専攻学科に入学。
卒業後は助産師として11年間大学病院に勤めた。その後、助産院を経営する恩師との出会いで助産院の魅力を知り、支援を受けながらも地元で助産院「愛花」を開院。
現在は助産院の運営に加え、地域の新生児訪問・育児相談にも携わる。
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