富山型デイサービス「このゆびとーまれ」を立ち上げた看護師に迫る
- ななぱす 学生団体
- 2023年4月20日
- 読了時間: 7分

年齢や障がいの有無にかかわらず、子どもやお年寄りまで誰もが利用できる富山型デイサービスの発端である「このゆびとーまれ」は、富山赤十字病院の看護師であった3人によって、1993年に設立されました。設立当初は制度も十分に整っていませんでしたが、徐々に富山型デイサービスが増え、今では全国に広まっています。今回はそんなデイサービスを立ち上げた1人である、惣万佳代子(そうまんかよこ)さんにお話を伺いました。
(文章:みかん)
このゆびとーまれに込められた想い
私が14歳の時、母はあと半年の命だと宣告されました。あと半年であれば家で一緒に暮らしていきたいという思いがあり、家族が過ごす居間にベッドを置いて母親と暮らすことにしました。そんな中、家族だけではなく漁師や農家の方々が、新鮮な魚や野菜を毎日のように家に持ってきてくださることもありました。母親はあと半年の命と言われていましたが、こうして家族や近所の方に囲まれながら暮らすことができたことで、なんと15年も長く生きることができたのです。この経験から私は、最期は病院ではなく家で看取るほうが良いのではないかと考えるようになりました。
「このゆびとーまれ」を立ち上げる前は20年間赤十字病院に勤めていました。 内科病棟で勤務しているときのことです。退院許可が出たご年配の女性の患者さんが「家に帰りたい」と仰っていました。しかし娘さんが仕事をしており、自宅での介護が難しく、高齢者向けの病院へ転院することになりました。転院先である病院へ訪問した際、その患者さんは手足をベッドに縛りつけられていました。そして、病院を移る前はあれだけ「家へ帰りたい」と仰っていたのにもかかわらず、「早く仏様や神様の元へ行きたい」と言葉にするようになっていたのです。医師や看護師が命を助けたとしても、患者さんが生きる希望を無くしてしまうことがあっては意味がなくなってしまう。何とかしてこのような方々が在宅で過ごすことはできないのか、看護師として何かできないのかと思い、私を含め看護師3人でデイサービスを立ち上げるに至りました。
ごちゃまぜで良い、ごちゃまぜが自然
看護の対象は全ての人です。そして、地域には子どもやお年寄り、障がい者など様々な人が暮らしています。だからこそどんな人でも利用できるデイサービスがあっても良いと思うのです。このようなデイサービスが1万人あたりに1か所あれば日本の国民は助かるのではないかと考えています。
しかし、開設当初は県や市に話を持ちかけても、「制度がないから補助金は出せない」と言われました。「デイサービスを運営するのであれば“高齢者のみ”のように対象を限定してほしい」と。そのため、よく役場の人と「その人のニーズが正しい、ニーズがあるからやるんだ」とけんかもしました。ただ反対されながらも、25年以上ニーズに合ったものを作り上げたいという信念を貫き通したことで制度が後からついてきてくれました。
最近は医療的ケア児もデイサービスを利用できるようになりました。人工呼吸器を使っていたり、酸素療法をしていたりする子どもがデイサービスに通えるのは、看護師がいるからこそできることです。地域には様々な人達が暮らしているからこそ、誰もが利用できるごちゃまぜのデイサービスがあってもよいのではないでしょうか。特別養護老人ホームなど対象者が限定されている施設も多くありますが、様々な人と関わることのできる「ごちゃまぜの場」こそが自然であると考えています。豊かな人間関係の中で人は育ち、そこで得られる喜びも大きいです。ごちゃまぜだからこそ、一人ひとりが輝くのです。
私は、人間のニーズの7割は皆同じで、残り3割にそれぞれの特徴があると考えています。もちろん、必要とされる看護技術は人によって異なる部分もありますが、まずは同じ人間として接することが重要なのではないでしょうか。私はよく、医師や看護師へ「医師である前に、看護師である前に、市民であれ」と伝えます。みんな一緒で対等であり、誰か1人が偉い訳でもない。どんな背景を持つ人と関わるときも、その人の“人間としての生き方”を認められることが大切です。
看護師としての在り方
中学校や高校に通っていたとき、私は親の世話をしており、入院の付き添いもよくしていました。ある時、懐中電灯を持って巡回している夜勤の看護師さんが、勉強をしている私に声を掛けて励ましてくださったことがありました。何で自分が親の介護をしないといけないのかと思う時もありましたが、看護師さんの励ましが心の救いになっていました。心が弱った人々にとって、看護師は天使のような存在で、私もそんな優しい看護師になりたいと思うようになりました。
看護の作文コンクールの審査を行ったときに印象に残った作文があります。それは夜にナースコールを鳴らし「もう少し待ってください」と言われたが、結局その後看護師は来てくれなかったといった内容でした。その看護師は帰ってしまっていたようで、次の日もその看護師は来てくれたが前の日のことに関しては何も言われなかったそうです。
「謝れる看護師になってほしい」と私はよく言っています。看護師も人間ですから、忘れることもあります。しかし、患者さんにとって、ナースコールを押すことは勇気のいることです。本当は忘れること自体良くないですが、もし忘れてしまっても、思い出したら一言謝るべきです。
看護学生の時の戴帽式にて、看護連盟の会長が仰った「キャップは軽いけれど私たちに課せられた責任は重い」という言葉を今でも覚えています。複数の患者さんを受け持っていたとしても患者さんにとっては一対一の関係です。ぜひ患者さんの想いに寄り添える看護師になってください。
青春の夢に忠実であれ
この言葉をよく若者に伝えます。青春時代に描く夢は純粋で、案外間違いないと思います。
高校時代、私はバスケットボール部に入っていましたが、母の介護が必要になり、3か月で辞めることになりました。母が元気になってきたのち、演劇クラブに所属したり、風紀部長として大勢の前で話したり、多方面で活動するようになりました。
私が通っていた高校は商業科で、卒業したら銀行員になる人が多かったので自分も銀行員になるのだと何となく思っていました。しかし、気づいたときには銀行の採用試験は終わっていたのです。結局、私は看護師になりましたが、商業科で学んだことは経営に役立っていますし、演劇で培った話し方や風紀部長として大勢の前で自分の考えを話した経験は、講演で話をするときに役に立っています。こうして振り返ってみると、全てに無駄がなかったと思います。

執筆者より
共生社会という言葉はよく耳にしますが、実際よく街で見かける施設は特別養護老人ホームや障がい者入所施設などと対象者が限られており、それがいつの間にか当たり前になっていました。だからこそ、大学の授業で富山型デイサービスこのゆびとーまれの存在を知った時、感動したのを今でも覚えています。縦割りのほうが行政も、ケアを提供する側も楽なのかもしれません。しかし、地域には様々な人が暮らしているからこそ、年齢や障がいの有無などにかかわらず誰もがいることのできる、ごちゃまぜの場が自然であるということを実感させられました。
プロフィール
惣万佳代子(そうまんかよこ)さん
昭和48年から富山赤十字病院に看護師として勤務。平成5年に退職し看護師仲間と3人で富山市富岡町で民営デイケアハウス『このゆびとーまれ』を開所。子供、お年寄り、障害者が一つ屋根の下で過ごす「富山型デイサービス」を始める。平成11年、県内初のNPO法人となる。
現在は富山ケアネットワーク会長をはじめ、宅老所・グループホーム全国ネットワーク代表世話人・富山大学非常勤講師を務めている。また平成14年、「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003」総合2位、平成17年には男女共同社会づくりで内閣府総理大臣表彰、平成27年に第45回フローレンス・ナイチンゲール記章受賞など、数多くの賞を受賞している。
デイサービスこのゆびとーまれの公式ホームページはこちら
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